右腕の気まぐれにブログ

気まぐれに書いていこうと思います。

昔から車好きだが、右も左も分からない自分がレースメカニックになった経緯と理由 その1

この記事はニコニコのブロマガにて書いてたのを、向こうのサイト閉鎖に伴い一部改変してこちらにてブログに残そうと思い引っ越し移動してきました。

これから書く事は、自分「右腕」がどういう経緯と理由でレース活動をする事になったのか?をつらづらと書いていこうかと思います。そしてこれらを全部読み終わり、自分もレース活動してみたくなった!って思ってくれたらこれ幸いですwちょっと長くなり何部か分けて書くかと思いますのでお付き合いの程よろしくお願いします。




 そう、自分は幼少時から車が大好きで親からミニカー買ってもらったり、プラモデルも自分で作ったり、父親が運転する車の助手席に乗っては周りに走ってる車の名前当てゲームを父親としたり、その父親が運転する姿を横で真似たりと、よくある車好きあるあるの子供であった。将来は車の修理屋さんになるんだって小学校の文集にも書いた記憶があったり・・・。

 でも、中学高校となるにつれ現実はそれとかけ離れていく事に・・・。工業高校に行きたくても、当時の学力じゃ厳しいと判断。普通科の高校へ。高校から大学へと考えても、やはり学力と家庭の家計事情の関係で儚く夢は閉ざされ只の車好きだけになってしまった。そんな自分は車のカタログを集めたり車の雑誌見たりして、仕事では車に携わる事は出来なくても趣味でやっていく事は出来るなって思い始めた。

 そんな中、とある一人の高校時代の先輩と出会った。

 その先輩はバイクが好きで、家に何台もバイクがありパーツも色々そこいらじゅうにゴロゴロ転がってて足の踏み場もない状態でいつもそれらをどけてよく座って談笑してた。その先輩が自分でパーツを組んでバイクを動かしてたのに感動と憧れを持つようになり、「いつかは自分も・・・」って思うようになり、最初は自分で出来る範囲(その当時は部品交換と塗装ぐらい?)で先輩から安く買ったバイクをいじる事から始まったのがきっかけ。自分でいじったバイクが思い通りになっていくのが快感になって、自己満足に陥ることもしばしば・・・。



 そういえば工具の使い方っていつ覚えたっていうと、やはり父親の仕事の影響なのかな?って・・・。父親は自営で旋盤など扱って仕事してたので、幼少の時からそれらを見てたので自然に覚えていったのかな・・・。後は色んな人が工具使ってる所を見たりして覚えたのもあるかな。こっちはアルバイトで機械の部品交換とかやってたのでそれでなんとなく覚えた感じ。



 ちょっと話が反れてしまったが、とにかく自分が所有してきた車やバイクは何かしら自分でイジったり、先輩や友人らと修理したりとしてきた。雑誌に載ってた改造とかを自分なりにアレンジ入れたりとか、自分で作れそうな市販の部品を自分で加工したりと色々チャレンジもした。その時からリアルで色んな人と知り合うようになって、その人らから色んな情報を得たりもして楽しかった。

 時は流れ、自分は家庭を持つようになると段々と車とかイジる機会も減ってしまったのであった・・・。

 でも自分の中の「車好き」は心の隅っこにあって、偶々ネットで車好きの仲間が集まるサイトというか部屋というか・・・。とにかく色々話したり情報交換するようになって、リアル以外でも知り合いが増えていった。そこで当時のチームのオーナー、渡辺孝弘氏(ツイッター名HAYATO@TAK.WATANABE @tak_racing ここでは「はやと」と呼ぶ事にしますw)と出会ったのであった。もう15年以上の話だ。当時はやとは既にレースをしてて色々と話を聞いていた。そんなある日、「今度筑波でレースあるんだけど見に来る?」というお誘いの話があって、当時近くに住んでるというネットの仲間(ここでは「K氏」と呼ぶ事に)と一緒に見学しに行った。その仲間とはやと、当時一緒にレース活動してメカニックやってた額田倫太郎(ハンドルネームでここでは「倫太郎」と呼ぶ事に)とはその日が4人とも初対面。そしていきなり事件が・・・。K氏と自分は合流して筑波サーキットに行き、はやとと倫太郎はサーキットで集合という約束でいたけれどなかなか現れない・・・。
 そして1本の電話。事前に何かあったらと、はやととは携帯の電話番号の交換をしていた。相手ははやとだった。


「すいませーん!車エンコしちゃってギリギリ間に合うか分からないので、サーキットのゲート前のガレージにうちらの車あるので出してサーキットまで運んでもらえますか?」



 

( ゚д゚)

(つд⊂)ゴシゴシ

(;゚д゚)

(つд⊂)ゴシゴシ
  _, ._
(;゚ Д゚)マジカ?

 





 オイオイ・・・初対面のうちらにそれ任せて良いのか?と思いつつ、とりあえず車出してサーキットに運んで車検受けないと今日のレースに出れないという事は電話口のはやとの焦った口調でなんとなく悟った・・・。
 何もかも初めて尽くしの事・・・先ず指示されたガレージに行ってみた。ガレージって言っても、ビニールハウスっぽいガレージでファスナーを開けるとそこにはレース仕様のEK-9(ホンダシビックタイプR)があった。既にこの時はサイバーフォーミュラのカラーリングになっていて、当時そのアニメを知らなかった俺でも「おお!かっこいい!!」って思った程だった。そこから助手席側から車に乗り込み運転席へ・・・。レースカーは座席に座る行為は何度かあったが、やはり座るだけでテンションが上がる!でもそんな余韻に浸る余裕も無くサイドブレーキを下ろし、ギアをニュートラルにしてK氏が後ろから押してもらった。ガレージから出した後、自分も降り二人でゲートまで押していった。ゲートの守衛さんに事情を話してとりあえず脇に寄せ、はやとらを待ってたのだがなかなか来ない・・・。車検終了時間も迫ってきてる・・・。でもうちらだけじゃどう対処したり何をとうするのかすら分からない。こうなったら、はやとだけでも連れて来れば良いのでは?と自分の車を出して現在地を電話でやりとりしながら迎えに行った。その間、K氏には留守番をお願いしてもらった。何とかサーキットから4~5kmぐらいのとこで合流!はやとと装備品を乗せて直ぐサーキットに戻った。はやとらを乗せてた車は、高速降りて直ぐスピードが30km/hぐらいしか出ずエンジンだけ唸ってなんとか走ってきたらしい。その状態で運転してた倫太郎はそのままサーキットまで走ってきて、なんとか後からうちらと合流できた。先に連れてきたはやとは、装備品とかの点検を済ませて車検を最後に回してもらうよう話をつけてきたらしい。4人揃ったとこで車検場に車を押して最後尾に・・・。この時もどんな事をするのか?前に居る人の作業を見たり、倫太郎に説明してもらったりしてなんとか車検をパス・・・。指定のパドックまでまた4人で車を運びようやく落ち着く事に。予選開始までの間倫太郎は黙々と整備を始め、うちらははやとと談笑していた。

 しかし、ふと自分がちょっと違和感を感じる事に気が付く・・・。


「あれ?メカニックって一人でやるもんだっけ?他に人居ないのか?」


 そう、この時メカニックは倫太郎のみ。ドライバーははやと。俺と仲間は見学&応援。はやとに聞くと、
「前はもう一人居たけど、来られなくなっちゃったからチームはうちら2人だけなのよww」


工工工エエエエエエェェェェェェ(゚Д゚)ェェェェェェエエエエエエ工工工


 自分が知ってるレースチームと全然違う・・・っていっても、TVや雑誌に載ってる有名なチームぐらいしか知らなかったので、個人でレースするっていうとこんなもんなのかな?って思ったり・・・。てか、この時点で既に他のチームとの違いが出てたんだとこれ書いてて改めて思ったwwだってこの後予選が始まった時、普通ピットには誰かしら居てタイム計ったりサインボード出したりとするイメージがあったのに、ピットは道具だけ。人は誰も居なくて倫太郎はっていうと、筑波サーキットの第1ヘヤピンのスタンドでビデオ撮影。うちらもそれに同行してたという・・・はやとは淡々と予選を走行・・・端から見ても異彩を放ってたチームだったなーってww
 決勝もほぼ同じ。スターティンググリッド着いた時に最終点検を倫太郎がこなし、はやとは俺らと談笑。サーキットアナウンスにも答えてたという余裕っぷりwwwそしてレースが終わり撤収作業して解散・・・話は端折ってる部分があるけど、これが自分とはやとが出会うきっかけとなり、後のスーパー耐久まで一緒に活動する事になるのと同時に、自分が幼少時に夢であったメカニックになるという実現にもなった初動でもあった・・・。

続く・・・